こんにちは!町田です。
ちょうど一年前に
こんなの書いてました。
「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい
集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人
もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいな
のは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っ
ぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ち
そうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで
崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっと
「キャッチ」するんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、
僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が
心からなりたいと思うのはそのくらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんでけどね」
サリンジャーの
キャチャーインザライです。
もうだいぶ前に読んで
記憶も薄れてきてはいるものの
この文章を読むと
物語がよみがえってきますねぇ。
ものすごくニュートラルな
思考の立ち上がり。
それをそのままアウトプットする。
そんなんでは世の中渡っていけません。
でもそこにはイノセントがあるんですね。
僕のなかには
まだ残っていると
思いたい。
けどそう簡単に
めげてはいられないんだよな〜